天満・天神

大阪の橋(歴史と文化を見る)_天満橋

大阪の橋・天満橋

 この辺りは古代には難波津と呼ばれ、遣唐便船などが発着する日本の表玄関であった。

7世紀に難波宮が置かれ上町台地上に発達した大阪のまちは、豊臣時代以降徐々に西へ開発され、まちの北を流れる大川こは、大阪から西国へ通じるルートとして古くから橋が架けられていたと考えられている。

江戸時代になると市街地は本格的に北へと広がり、大川を渡るこの3つの橋は特に重要な橋として公儀橋に指定され、幕府の直轄管理となった。長さはどれも200m以上、幅も7m前後と、当暗としては最大級の規模であったことからr浪華の三大橋」と称され、大阪を代表的する橋として人びとに親しまれた。長大橋の多くなった現在でも、広々とした水面と岸辺の豊かな緑に映える三大橋の姿は名橋の名に恥じない風格がある。

昭和10年に架けられた天満橋は同45年に上層部分が加えられた2層の鋼桁橋、天神橋は昭和9年完成のスケールの大きな鋼アーチ橋、そして難波橋は大正4年完成当時の中央のコンクリート・アーチ橋と昭和50年に架け換えられた両側の鋼桁橋(形は架け替え前のアーチ形を継承)と、それぞれの個性美を見せてくれている。

交通 京阪、地下鉄天満橋駅下車(天満橋)、北浜駅下車(天神橋、難波橋)

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天満橋の駅から地上に出て2階建てになった橋を渡る。下流側(西)を望むと天神橋が美しいアーチを描いているのが見える。北詰東側の支番の横から公園に入ると、川を背にして明治時代の天満橋の橋名額(右の写真「鉄橋になった天満橋」に見える)が据えられている。川岸へ降りて桜並木を下流(西)の方へ歩くこと10分足らずで天神橋北詰に看く(西側に明治時代の橋名額が置かれている)。橋を南へ渡って橋詰西側の碑を見たあと再び橋へ戻り、中央にある階段を中之島公園へ降りる。グラウンドの向こうに男える高速道路の下をくぐり、太鼓橋になった「ばらぞの橋」の上に立つと19世紀のヨーロッパを思わせるクラシックな難波橋が目に入る。難波橋の中央に作られた見晴らしのいいバルコニーこは、陶板画をはめこんだ顕彰碑がある。なお天満、天神両橋の橋名額は天満宮境内にある池のほとりにも保管されている。

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